広大附属中学合格体験記

  • 広大附属中学 合格
    広大附属中学
    広大附属小 出身
    僕は一年生の時から塾に通いました。そして梶川剛先生に出会いました。一番最初の梶川先生の授業は先生の自己紹介からでした。なんとその自己紹介で梶川先生は自分の下の名前を当ててもらうためにヒントとしてジャイアン(剛田武)の名前を出しました。しかし、その当時のぼくはジャイアンの本名を知らなかったので、その問題が解けませんでした。そんなことから始まったぼくと梶川先生の関係はまさか6年生まで続くとは思っていなかったです。2年生のときは担当が別の先生になり三年生の時は開智学館に行っていて授業の担当はしていただけませんでした。4年生になると算数の理科を教えてもらいました。特に印象に残っているのは理科の授業です。なぜかというと梶川先生にあだ名をつけてもらったからです。しかし、塾生活で一番悲しいことがおきます。5年生になると、梶川先生には算数を教えてもらいました。また、その当時はもう一人の先生にも授業で算数を教えてもらっていました。最初の算数の授業での確認テストの名前をあだ名にしていると、その確認テストを返してもらった別の算数の先生にものすごく怒られてしまいました。しかし、梶川先生は4年生の時からそれを許していたので、ぼくはものすごく驚きました。ついに、受験の年がやってきました。まずは、春休みの特訓会がありました。僕は5年生のときも特訓会に参加していたので、あまりしんどくはありませんでした。次に、夏休みが来ました。夏休みは本当に本気で勉強しました。もちろん特訓会などのすべての講座に参加しました。いよいよ年越しが近づいてきたときには、入試本番まであと少しだなとようやく感じるようになりました。大晦日暗記会・正月特訓にも参加しました。そして万全の状態にもっていきました。ぼくは第一志望の前に受けた学校はすべて受かっていました。そして第一志望校(附属中学校)の入試の日、ぼくはまず小学校へ行きました。そして試験会場の入る前に梶川先生に会うことができませんでした。ぼくは緊張しましたが、今まで梶川先生に言われてきたことを思い出し、全力で取り組んだ結果、見事に合格を勝ち取ることができました。ぼくが合格できたのは、それまでの積み重ねがあったからだと思います。だから、これから受験する人たちにはきちんと積み重ねていけば結果はついてくるのだと言いたいのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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